スマートフォン・インターネット依存について

スマホスタッフコラム

 一般的なスマートフォンの利用時間とはどのくらいのものなのだろう?

 自分で自分のことを結構な依存症だと思っている。

 そんな依存は良くないとも思っている。

 だから、スマートフォンに触れながらもよく考えることのひとつである。

スマホライフのスタート

 そもそもスマートフォンを所持し始めて10年余り。

 最初の頃は、ガラパゴス携帯に毛が生えたような利用方法しか知らなかった。

 せいぜいメールの送受信ができ、ちょっとした検索ができればそれで事足りた。

 そのうち、子供が所持するようになり、様々なアプリを利用するようになった。

 学校では、子供の携帯電話の利用に関して、親にも注意喚起がなされる。

 親が何も知らないのに、子供にあれダメこれダメは通用しない。

 まずは自分もそのアプリとはどういうものなのか知る必要があると思い、とりあえずそのアプリをインストールしてみよう!

 というようなところから自分のスマートフォンの利用が本格的に始まった気がする。

 TwitterやInstagram、しばらくの間は子供が操作しているのを横から覗いている程度だった。

 子供やその友達の投稿を眺めパトロールするだけのつもりでいた。

 そのうち、自分もせっかくアカウントを作ったのだから投稿してみようかな。

 離れた所に住んでいる家族や親戚、友達の近況が知れる楽しさを知る。

 同じ事に興味を持つ世界中の人の投稿が見られる。

 新しい情報を得る感動がある。

 自分が知らないこと(新しいアプリ、利用方法等)を子供が知っていたりするので親子間の会話も増える。

 比較的ポジティブに捉え、スタートしたスマートフォンライフだった。

気付いたら依存してた

 しかし、ここ数年気付けばすっかり依存している。

 多種のアプリの便利さや楽しさを知りスマートフォンを片時も放さず、忘れて出かけると終始落ち着かな、そんな風になってしまった。

 朝起きるときはスマートフォンのアラームで。

 お弁当作りには時々レシピアプリ。

 今日の天気は?洗濯物は干しっぱなしでいいの?と天気予報アプリで確認しつつ洗濯機を回す。

 朝の身支度の際は洗面所にスマートフォンを置いて音楽をかける。

 時にはYouTubeを見ながら。

 合間にメールやLINEの受信内容を確認し各所に返信。

 仕事を終え帰宅し、インスタ、Twitter等のDMの確認・返信。

 家族からの帰るコール(LINE)を確認しながらまたまたレシピアプリを参考に夕食づくり。

 レシピ不要の場合は動画配信サービスで見逃したドラマを見なが。

 入浴の際も湯船につかりながらドラマの続き。

 寝る前には見逃したテレビ番組や映画を観たり、ネットサーフィンしつつ買い物したり、そしてまたアラームをセットして一日が終わる。

 こう書き連ねてみて何年か前の自分では考えられないほどの依存ぶりに改めて気付く。

 財布は忘れてもスマートフォンがあればなんとかなるという状況にさえなってしまっている。

 楽しい反面、手のひらサイズの機械に支配されているようで不安を感じる。

 視力も低下するし、脳にも良いとは思えない。

 そんなこともありあれこれ検索していたら以下のテストを見つけたのでやってみた。

インターネット・アディクション・テスト

 「インターネット依存」、「スマートフォン依存」で検索すると、インターネット・アディクション・テストというものが出てくる。

 自分でもやったみたところ結果は以下の通り(該当するものだけを抜粋)

  • 気がつくと思っていたより、長い時間インターネットをしていることがある
  • 配偶者や友人と過ごすよりも、インターネットを選ぶことがある
  • インターネットで新しい仲間を作ることがある
  • 他にやらなければならないことがあっても、まず先に電子メールをチェックすることがある
  • インターネットをしているとき「あと数分だけ」と言っている自分に気がつくことがある
  • インターネットをする時間を減らそうとしても、できないことがある

 20項目あるうちの6項目に該当。

 それが良いほうなのか悪いほうなのかはわからないが、チェックリストの項目には、インターネットを心の拠り所にしているかどうかをみるようなものであったり、閉鎖的な生活をイメージさせるようなものもあったりして、やはりこれ以上依存しないようにしたほうがいいなと、改めて考えさせられるテストである。

 上記の項目のひとつを取り上げどう自分に当てはまるのか考えてみたところ、インターネットで新しい仲間を作ることがある、とあるが例えば自分の場合は次の通りだ。

 子供が相互フォローしている相手を度々「友達」と呼んでいた。

 「そんな顔も知らないような人を友達とは言わないよ」と半ばあきれていたし、その感覚にとても違和感を持っていた。

 InstagramやTwitterを利用し、好きなアーティストが同じという共通点で繋がった「友達」が、日本各地にいるらしい。

 ライブやイベント等があると、各地から集まった「友達」に会い、数年来の仲のように会話が始まる。

 その順序逆転の行動に最初はとても驚いていた。

 自分にとっての「友達」の定義は、顔を知っていること。

 まず出会わなければ友達になりえない。

 しかし、顔を合わせる前にダイレクトメールを通してではあるが散々会話はしている様子。

 いわゆる“リア友(現実社会の友達)”とは全く順序が逆だ。

 ここに足を踏み入れる前は全く理解できなかった世界であったが、今では理解もできる。

 なぜなら、自分にも「友達」がいるからだ。

 スマートフォンを使いこなしインターネットを活用した「友達」が自分にもできてしまった。

 まさに、ミイラ取りがミイラになってしまったのである。

 そんな自分はやはりこの項目に当てはまるなとチェックしながら苦笑してしまった。

まとめ

 子供主体であったスマートフォン・インターネット依存は今ではすっかり自分主体。

 確実に自分の意志でスマートフォンを操作し、生活するうえで頼りにしているし、娯楽も求めてしまっている。

 該当する項目の数だけを見たら、たいしたことないのかなと思わなくもないが、手の平サイズの機械に踊らされるようなことなく、ただ便利な道具として使いこなしていけるのが理想である。

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